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  福岡県八女市本町2-123-2
  【TEL】 0943-22-3131 【FAX】 0943-22-3144
  【E-Mail】 info@yame-kougeikan.jp

 
インフォメーション



開館時間



9:00〜17:00 月曜日(当日が国民の祝日・
休日にあたる場合は 開館)
・年末年始休館日


入館料 無 料 駐車場無料(車80台・バス4台)
所在地 福岡県八女市本町2番地の123の2
電話番号 0943-22-3131
FAX番号 0943-22-3144
トイレ 3か所(車椅子用あり 1か所) 授乳室 あり 救護室 なし
ベビーカー 可 車いす 可 飲食物の持ち込み 不可
飲食施設 なし イヌ同伴 不可


    1階_企画展示場  実演・体験コーナー 、イベントスペース 、販売コーナー 、講義室 、開放工房 、事務所 

        八女福島の町並み(ジオラマ) 、八女伝統工芸のDVD鑑賞コーナー 

    2階_常設展示場  竹編組見本展示(東階段100点、西階段20点) 、会議室 、製品開発室
 
 

八女伝統工芸館について

 
 
 
福岡県南部に位置する八女地方{旧八女郡=八女市(八女・黒木・立花・
上陽・矢部・星野6エリア)、筑後市、広川町}の伝統工芸品を一堂に集め、
伝統技術の伝承と地場産業の発展を目的に、1986年(昭和61年)に八女市
が建設、同年11月にオープンいたしました。


 
国指定伝統的工芸品 八女福島仏壇・八女提灯・久留米絣、県知事指定
特産工芸品・民芸品 八女石灯ろう・八女手漉和紙・八女矢・八女竹細工・
八女和こま、赤坂人形、八女すだれ、その他焼き物、木工品など八女地方を
代表する工芸品を中心に展示紹介しております。
 また、工芸品の販売コーナーもありショッピングも楽しめます。


 建物は、八女福島の白壁の町並みの”蔵”の造りをイメージして設計され、
国鉄矢部線「筑後福島駅」の跡地に建設されました。市民に惜しまれながら
廃止になった国鉄矢部線への愛着を後世に残すため、館内をレールが突き
抜けている演出があります。さらに、建物南側元、線路跡、道路「バルビゾン
の道」歩道に当時敷かれていたレールを切断・溶接しカタカナのコの字型の
パーツを連続して繋げて作った全長500mの藤棚があり、「トンネル藤」の名称
で、4月中旬から下旬まで藤の花の名勝になっています。
品種は野田藤と山藤で、約90本植えられています。
  画:青沼 茜雲(茂男) 氏
    八女伝統工芸館オープン記念
  ◆八女伝統工芸品大型展示物
 
日本一の大型金仏壇
完成: 平成4年3月20日
規模: 高 さ :  6.5メートル
横 幅 3.8メートル
奥 行 2.5メートル
重 量 2トン
材料費 3,500万円

  
八女福島仏壇 (経済産業大臣指定伝統的工芸品)

  この大型仏壇は、平成3年度補助事業として八女市の助成及び
 国、県の補助を受け、八女福島仏壇をはじめ地域産業の活性化、
 人材確保、後継者育成に役立てる目的で製作されました。

艶やかなジャンボ提灯
完成: 昭和42年に制作。昭和61年に修復し八女伝統工芸館に展示
規模: 高 さ :  5メートル
直 径 3.8メートル
重 量 50キログラム

  
八女提灯 (経済産業大臣指定伝統的工芸品)

  提灯のヒゴに竹骨、火袋に手すき和紙を使ったものでは日本一の
 大きさと言われています。天女が舞い踊る絵が描かれています。
  この対のジャンボ提灯は、八女提灯協同組合が制作し八女市の
 お盆の祭りや秋分の日の「ふるさと祭り」の夜を彩ってきたもので、
 現役引退後、絵は新たに書き直し、昭和61年にオープンした本館に
 常設展示されました。
日本一八女石灯ろう 
完成  平成2年11月23日
規模: 高 さ 10.5メートル
横 幅 6メートル
周 囲 20.8メートル
重 量 108.8トン
材料費 1,500万円

 
 八女石灯ろう (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)

  
の大型石灯ろうは、八女の地場産業振興と地域の活性を目的に
 新製品開発事業として市及び県の助成、八女石灯ろう協同組合の
 協力を得て完成しました。
  「八女匠の門」揮毫は、書道家 故 落合精一先生によるものです。
   ◆主な展示物
竹編組見本 
 
 
 
八女福島仏壇元祖之碑 
完成:  明治35年 建立。 平成3年11月 八女伝統工芸館へ移設。
   
 


八女八福かえる

 

 
     


   

八女八景水車(八女石の石組山水と水車)
完成: 平成21年3月
規模: 高 さ  :  3.7メートル
横 幅 5.4メートル
重 量 20トン
水車直径 1.53メートル

  八女石灯ろう (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)

  この「八女八景水車」は、八女地方の優れた景色を石組の山水で
 表現し、日本一石灯ろうとともに、伝統が息づく八女のシンボルとして
 位置づけ、伝統産業の振興と地域の活性化を願い八女石灯ろう協同
 組合の技術を集結し完成したものです。  
 福岡県の伝統工芸品  

  経済産業大臣指定伝統的工芸品  ※内、緑色が旧八女郡(現、筑後市・広川町・八女市)産地

 博 多 織   博 多 人 形  久 留 米 絣  八女福島仏壇
 上 野 焼   小 石 原 焼  八 女 提 灯  

  福岡県筑後地方の福岡県知事指定特産工芸品・民芸品  ※内、緑色が旧八女郡(現、筑後市・広川町・八女市)産地

 らんたい漆器  きじ車  八女手漉和紙  八女石灯ろう  掛  川
 赤坂人形  鍋島緞通  柳川神棚  八女竹細工  筑後和傘
 八女和こま  杷木五月節句幟  八女矢  城島鬼瓦  久留米おきあげ
 大川総桐タンス  大川彫刻  大川組子  柳川まり  棕櫚箒
 八女すだれ        
   
  ※現在製作中です… しばらくお待ちください
 八女の伝統工芸品の紹介
  八女福島仏壇 (経済産業大臣指定伝統的工芸品) 生産団体:八女福島仏壇仏具協同組合
    YAME FUKUSHIMA BUDDHIST ALTARS
 
    江戸時代後期の文政4年(1821年)に仏壇づくりが始まりました。当時は御室(おむろ)と呼ばれ、これが九州の仏壇製造の
   源流となりました。漆塗りと金箔を施した格調高い八女福島仏壇は、細部にまで機能性にこだわり芸術性も兼ね備えた伝統
   技法が光ります。


     八女地方は古くから仏教信仰の強い土地柄で、地域内には奈良時代建立の大円寺、行基建立と言われ光明寺、その
   末寺の上妻(八女)の七福寺といわれる寺々があります。
    八女福島仏壇誕生には、次のような逸話が残されています。江戸時代後期の文政4年(1821年)、福島町の指物大工、
   遠渡三作(とおわたりさんさく)がある夜、荘厳華麗な仏閣の夢を見て思い立ち、同業者だった井上利久平(いのうえりくへい)
   ・平井三作の両名に協力を求めて仏壇製造を志したといわれています。 
    その後、製造技術が確立されたのは、嘉永年間(1850年)頃で、これが、九州での仏壇製造の源流ともなっており、
   江戸時代末期には、仕上師18人、彫刻師7人、仏師7人、木地師10人を数えるほどに発展しました。
    久留米藩による住居や生活への各種の制限が解除された明治維新以後、仏壇製造はますます盛んになり、産業として
   確立されました。明治15年(1882年)には、囲い・彫刻・宮殿・仕上げの4組合が組織され、今日の発展の基礎を築きました。
    八女福島仏壇の製造は、八女の豊かな自然から生み出される良質な素材と職人の高度な技、豊かな経験が必要です。
   全工程は80余りにのぼり、@木地造り・A宮殿造り・B彫刻・C金具・D漆塗り・E金箔押し・F蒔絵・G仕上の部門ごとに
   分業され出来上がります。金箔・漆塗りを施した格調高い金仏壇は、細部にまで芸術性と機能美を兼ね備えた伝統技法が
   継承されています。
    八女福島仏壇は、昭和52年(1977年)に通商産業大臣(現、経済産業大臣)指定伝統的工芸品に指定されました。
  八 女 提 灯 (経済産業大臣指定伝統的工芸品) 生産団体:八女提灯協同組合
    THE YAME LANTERN

    八女福島仏壇より少し早い、文化13年(1813年)頃に作られた場提灯(バチョウチン)の製造が始まりとされます。その後は
   八女手すき和紙を使用し内部を透かし花鳥や山水などを描き涼み提灯とし名声を博し九州に福島提灯として広まりました。
    大正時代以降は優雅で貴賓溢れる盆提灯が主流となっています。


    八女提灯の起源は、文化13年(1816年)頃、福島町(現、八女市)の荒巻文衣右衛門(あらまきぶんえもん)が「場提灯」
   (ばちょうちん)と称し、墓地等に用いる単色の山茶花などを描いた素朴な提灯を作ったのが始まりとされています。
    その後、安政年間(1854年〜1859年)に福島町(現、八女市)の吉永太平(ヨシナガタヘイ)氏が意匠を工夫して、竹骨を一条
   螺旋式(いちじょうらせんしき)改め、厚紙を薄手の八女手すき和紙に変え、内部が透視できるようにして、山水・草木・花鳥を
   彩色描写にしたため、涼み提灯として名声を博しました。 
    矢部川の豊かな恵みを受けた八女には、木材や竹を豊富に産し、手すき和紙や竹細工、木工、漆職人など提灯づくりに
   欠かせない材料や技術が集積しており、技法の発展とともにたくさんの提灯が作られるようになり、九州の一大産地となり
   ました。
    明治の初期には、吉永太平氏の弟、伊平(いへい)氏が速描の絵画法を応用して生産は急激に増加し、大正時代になると、
   大型提灯から優雅で気品溢れる盆提灯へと転換しました。盆提灯以外では騎馬(きば)提灯、弓張(ゆみはり)提灯、祭礼用、
   宣伝提灯など全国へ出荷され、盆提灯では日本一の生産量を誇ります。
    製造工程は、@型組み・Aひご巻き・B火袋張り・C絵付け・D木地作り(曲げもの)・E塗り・F蒔絵・G仕上げの部門で
   分業されていますが、これらを一部統合した会社もあります。
   盆提灯の種類には、住吉型、御殿丸型行灯型博多、回転灯などがあり、桔梗やススキなどを描いた主流の盆提灯の
   他、新しい感覚を取り入れた近代的な提灯も人気を集めています。
    八女提灯は、平成13年(2001年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

  久留米絣 (経済産業大臣指定伝統的工芸品・国指定重要無形文化財) 生産団体:久留米絣協同組合
    KURUME GASURI

    久留米絣は、江戸時代後期、寛政の末(1800年)頃、現在の久留米市の通外(とおりほか)井上(1788〜1869年)と
   いう女性の手により始まりました。伝が12歳の頃、古着の色あせたところに白い斑点ができているのを見て、古着を解き、
   インスピレーションから端を発し斑点絣が考案されました。最初は「加寿利(かすり)」と命名され、「飛白(ひはく)」と表現
   される斑点模様は人々に珍重され全国的に広まりました。  
    その後、織機の改良で「からくり儀右衛門」こと、田中久重の協力や多くの人たちの創意工夫によって、久留米絣は、
   農家の副業として織られ、国内に知られる綿織物となりました。    
    明治時代以降は、庶民の衣服として全国に普及しました。さらに1844年頃、牛島ノシが、久留米絣の代表的柄とされる
   小紋を考案、また大塚太蔵が、絵や文字を自在に表現しようと工夫を重ねました。 
    久留米絣の工程は、柄づくり(図案)から整反(最終仕上げ)まで約30の工程があり、そのひとつひとつの工程に経験と
   技を必要とします。 粗苧(あらそう)は白糸で綿糸をくくり、藍で染めた後、織るという作業になりますが、経(たて)糸の
   柄、緯(よこ)糸の柄をきちんと合わせ柄模様の布を織り上げる根気、一反(巾38〜40cm長さ12m)の久留米絣が出来上が
   るまで3ヶ月程を要します。 
    久留米絣の魅力は、職人たちの丹念な手仕事、木綿の暖かな風合い、模様の面白さ、素朴な中にも精巧な藍の美しさが
   あり、200年を超える時の集積、高度な技術が受け継がれ、着物だけでなく、洋服やバック・帽子など身につけるものから、
   雑貨やインテリアグッズとして広く愛されています。
    久留米絣は、昭和32年(1957年)国指定重要無形文化財に認定。昭和51年(1976年)通商産業大臣(現、経済産業大臣)
   指定伝統的工芸品に指定されました。
  八女石灯ろう (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品) 生産団体:八女石灯ろう協同組合
    YAME STONE LANTERN

    八女石灯ろうは、太古(約7万年前)の阿蘇山大噴火による火砕流の堆積物が凝結してできた凝結凝灰岩が、八女の地で
   採れたこと、石工(イシク又はイシコウ)と呼ばれる石切工・掘石工・積石工の技術を持った職人がいたことに始まります。
    起源は江戸時代初期といわれ、凝灰岩の石山より切り出し、土木建材や石塔、ツルハシやノミなどの道具で加工して石灯ろ
   う、石彫、仏石が作られました。最も古い物は文久年間(1861年〜1864年)の作品が残っています。
    大正時代の終わり頃から販路も拡大し、現在では日本全国に名を知られています。
     素材の特徴は、耐火・耐寒性に富み、石苔を早く生じ、石質が柔らかで細部にまで彫刻がかなうことから、趣きのある燈籠
   材に最も適しています。また、運搬も他の石に比較してはるかに軽便です。
    石灯ろうの種類として、木型灯ろう・雪見型・春日型・織部型・小屋棒・五重の塔などがあり、特注品として神社の鳥居や
   狛犬、その他カエル、カッパ、水鉢、灯り等多くの作品が作られています。
    八女石灯ろうの黒っぽい岩肌は落ち着いた色合いで、日本庭園によく調和し、先人からの伝統的技術を受け継いだ
   優美性と素朴さは、年を追うごとに赴きを増し、ご愛用の皆さまより賞讃されています。
  八女手すき和紙 (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品・福岡県無形文化財) 生産団体:八女手すき和紙組合
    YAME HANDMAID PAPER 
                              
    八女手すき和紙の起源は、文禄年間(1592年〜1596年)に日蓮宗の僧日源上人が生まれの越前国(現、福井県)の和紙の
   技法を八女の地に移し広めたのが始まりとされます。
    日源上人は、全国行脚中(1595年)に溝口(現 筑後市溝口)に立ち寄り、八女を東西に流れる清流矢部川の地理、水質が
   和紙づくりに適すると判断し、故郷から新佐衛門、新右衛門、新之丞の3人の弟を呼び製紙場を開き普及させました。
    最盛期は、明治の後期から大正中期頃で1,800戸以上の漉場があり中国、韓国方面へも輸出されていました。
    八女手すき和紙の特質は、九州地方特有の長繊維(7o〜10o)に育つ楮を主原料に「流し漉き」と呼ばれる卓越した伝統
   技法で1枚1枚漉かれているため、他産地にない強靭さと優美性を兼ね備えます。
    版画家 棟方も「版木に合い、かつ墨が紙に染み入るようだ」と八女手すき和紙をこよなく愛しました。現在つくられてい
   る主な製品は、掛軸用表装裏打紙、版画用紙、書画用紙、障子紙、民芸紙、提灯紙など幅広い分野で愛用されています。  
  八女矢 (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)  生産団体:北部九州弓具組合
    THE YAME ARROW
    
    八女矢は、工程のすべてが手作業で、矢飛びの良さと美しさで全国の弓道家に知られ、伝統技法と長年の経験と勘で心を
   込めて作られています。
    始まりは、矢の素材となる矢竹の一種、が矢部川流域に豊富にあったことで、この竹を使って1752年(宝暦2年)、
   当時の立花藩主のお抱え矢師が、矢に適した竹が豊富な八女の高塚(八女矢制作発祥の地)の地に居を構え、生産を
   開始したことが由来とされています。
    節が少なく、節自体も平らな篠竹で作られる八女矢は、細いけれど強いしなりをもった美しい矢です。何度も竹を伸ばして
   真っ直ぐにする「()め」作業と、丁寧に選別し加工した羽・部品を組み合わせ、美しい八女矢が出来上がります。
    現在、矢の制作は筑後地方でも数件となりましたが、全国的に一定の地域に固まって矢の工房があるのは珍しいことです。
 八女和こま (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)  生産者:こま工房 隈本木工所
   THE YAME TOP
    
    八女和こまは、昔から子どもの玩具として親しまれてきました。こま伝来の起源は、中国から高麗を経て平戸に伝わり、
   後に、菅原道真公が九州に伝えたのが八女和こまの始まりだとされます。
    古くは宮廷の儀式や貴族の遊びに用いられ、南北朝時代には、庶民の子どもたちの遊びに使われるようになりました。
    九州のこまは芯に鉄芯を使っているのが特徴で、さらに八女和こまは、上面の中央部分が大きくしぼんでヘソがあるのが
   特徴です。    
    現在、八女和こまの製造をしているのは、八女市吉田の隈本木工所1軒となりました。こまの木地には、佐賀県産の
   マテガシを1年以上よく乾燥させたものが使われ、荒削り・仕上削り・絵付け・塗装の工程を経て赤・緑・黄と色鮮やかな
   こまが完成します。
    こまの回転には、福が回る、金回りがよくなる、人生が円満に回るという意味があり、色鮮やかにきれいに回る八女和こま
   は、「その人の人生がますます円満に回りますように」との願いが込められています。
  ■赤坂人形 (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)
    
    筑後市赤坂の地は、江戸時代中期の頃より有馬藩の御用窯として知られた「赤坂焼」の産地でした。赤坂人形の始まりは、
   赤坂焼の職人が余技として製作したのが起源といわれ、別名、「ててっぽっぽ」(不器用な人 の意味)と呼ばれ、幼児用の
   玩具や民芸品として親しまれてきました。
    現在、作っているのは、赤坂飴本舗の1軒だけとなり、工房には、子守笛・鳩笛・ふくろう笛のほか、福助・天神・猿などの
   十数種の人形や土鈴の型が大切に保管されています。
    製作はとてもシンプルで、赤土を型で取り、素焼きにしたものに胡粉(ごふん)をかけ、紅・黄・青などの食用色素で彩色、絵付
    けをして仕上げる伝統技法が守られています。また、素朴さを出すため、表と裏の型を合わせるときにできる“耳”を残すの
   が赤坂人形の特徴です。
    日本の郷土玩具百選でも「筑後の赤坂というところを訪ねると、まことにひなびて、心温まる土人形がひっそりと待っていて
   くれる」と紹介されています。
  八女竹細工 (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)

    八女地方は、良質の真竹(マダケ)が生育することから農業の副業として、古くから竹で農業用具や生活用具のザルやテボ
   などが生産されてきました。八女竹細工の産地が形成されたのは、宝暦年間(1704年〜1711年)頃だといわれ、主にザルや
   ミソコシ、テボ、飯ショウケ等の篭類、和傘など農具・生活用品が作られ、それぞれ専門の職人がいて、商品を九州各地に
   売り歩いていました。特徴は、篭の底は竹を差し込み補強し、取っ手を付け持ちやすくしたり、押して引いて運んでも丈夫に
   作られ修理をしながら長く使い続けられるよう工夫がなされています。
    最盛期には協同組合も組織されていましたが、現在は竹細工の職人も数名と減りました。
  八女すだれ (福岡県知事指定特産工芸品・民芸品)
       
             
   
 

  八女の和竿

    福岡県で唯一、手づくり釣具を製作されている木下釣具店では、室内乾燥でカラカラに乾かした竹竿を、重油バーナーで
   あぶりながら、慎重に竹の曲がり具合を矯正します。
    竹は、熱を加えると繊維が堅くなり、ハリが生まれしなやかで強い素材に変化します。
    良く熱が入らないと、伸ばしても元に戻ってしまうため、竿の歪みを確かめながら、竿が真っ直ぐ伸びるよう、匠の技が微妙
   な違いを感じとり何度もバーナーであぶって仕上げていきます。
    一番重要なことは、良い材料を確保すること。 鹿児島県の「布袋(ホテイ)竹」と呼ばれる丈夫で折れにくい細い竹が使わ
   れています。
  




  

 


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